日々是好日

そのさびをつれづれなるままに

プライド

旦那が義父と二人暮らしをしていた、小学生の頃の話だ。泊まりの仕事で義父が不在の時、部屋の暖房が切れた。元々お金がないので灯油の買い置きをしておらず、近くに住むサトヤマ家に相談するのも、お金のことが気掛かりで出来なかった。ガスは点くので、時々お湯を出して手を温めつつ、湯沸かし器が発する熱で暖を取りながら――泣いた。凍えそうだわ、惨めだわ、一人ぼっちだわでもう……。

という思い出話をしながら、夜になって暗くした部屋の布団の中で、旦那が嗚咽を漏らした。その時はすっかり酔っ払っていたので、旦那は記憶に無いかもしれない。プライドを傷付けそうだから、それは確かめていない。そもそも、私も話の切っ掛けは忘れた。素面ならば涙を零すことなく淡々と話したかもしれないし、酔った勢いで話しただけで素面ならば一生語られることもなかったようにも思うが、とにかくそれがとても辛いことで、心の奥底にいつまでも存在しているのは分かった。

 

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以来、旦那が泣く場面に遭遇したのは二度目だ。前夜も訪ねた病室は、危篤患者が居るとは思えない静けさだった。義妹二人だけが、ベッドを囲んでいた。
「駄目だったよ」
言われる前に見れば分かる。あんなにピコピコ煩かった生体情報モニタは、既に電源を抜かれてコードが束ねられていた。前回来た時に付けられていた酸素マスクが無かった。旦那の目から涙が零れた。
「泣くつもりじゃなかったんだけど……出るもんだな」
「うん……仕方ないよ」
義妹の一人がそう答えた。彼女達はもう泣いて終わった後のようだ。

「何時に?」
「九時」
「九時何分?」
「ちょうど」

病院から危篤を知らせる電話が入った、その最中だなんて……あまりにも急過ぎやしないか?
「俺、八時過ぎまでここに居たのに……たった一時間で」
「プライドの高い人だったから、誰にも見られたくなかったんだよ」
本当にそうとしか考えられなかった。誰も居なくなった瞬間を狙ったかのように、逝ってしまうとは。

 

前夜に病院へ来る時に旦那が自宅の鍵を持っていれば、私が出掛けるのに合わせて旦那が帰宅しようと考えなかったかもしれなかったのに。私が美容室に行くのを止めていれば、旦那はまだ病院に残っていたかもしれないのに。いっそのこと、私も病院に残っていれば良かったのか。旦那が携帯電話の電池が残り少ないというので、万が一の時のためにこちらからの連絡を控えていたのだけれど、私の鞄に入れていた簡易充電器の存在を何故思い出さなかったのだろう。そんなことよりも、今朝病院からの電話を受けた時、どうして旦那にだけ電話かメールをしなかったのか――幾つもの「選択ミス」が頭の中を巡ったが、いずれにせよ最期には間に合わないようになっていたのかな……とも思う。

義妹達もエイコさんも、誰も義父を看取ることが出来なかった。彼女達は20分を過ぎてからほぼ同時に到着し、それを待って立会いの下、生体情報モニタが外されたという。

 

闘病開始から約十年、癌の宣告から五ヶ月。
食事を取れなくなってからは二週間。
義妹の見立てでは「あと三ヶ月か半年」だったが、実際には僅か三週間だった。

ついに義父は力尽きた。

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